神戸スイーツ ノオトとは

いつの頃からか「神戸は洋菓子の街」といわれています。
今やナショナルブランドとして知られる洋菓子ブランドも、歴史をひも解けば発祥は神戸から。
本サイトでは市内に限定することなく、広義でエリアをとらえ、神戸を中心とした兵庫県下で愛される洋菓子を神戸スイーツと呼んでいます。
神戸が誇る洋菓子を、今よりもっと親しんでいただきたくて、大丸神戸店から今あらためて、その美味しさと魅力をお伝えしていきます。

 

 

神戸スイーツの歴史

明治
神戸における洋菓子の歴史は、長く続いた江戸時代が終わり、あたらしい時代の幕開けのとき。慶応3年(1868年1月)の開港にさかのぼります。当時居留地にいた欧米人が持ち込んだお菓子が洋菓子です。その後、国際的な社交の場としてホテルが開業し、鉄道も開通。文明開化のまっただ中に、元町3丁目に「二宮盛神堂」、次いでトアロードに「野中商店」と、神戸に初めての西洋菓子店が誕生します。洋風に卵と砂糖を使った「瓦せんべい」(亀井堂總本店)も、ハイカラを先取りした「神戸の洋菓子」の始まりといえるかもしれません。

摂州神戸海岸繁栄図
「神戸古版画集」より「摂州神戸海岸繁栄図」
神戸市立中央図書館所蔵

 

 

神戸の本格的な洋菓子店の草分けにして、今もそののれんを守り続けるのが、明治30(1897)年創業の「神戸凮月堂」。カステラやワッフル、シュークリーム、マロングラッセなどを商い、東京の大きな博覧会にも出展し、人気を博します。

 

 

大正
大正時代に入ると、関東大震災、第1次世界大戦、ロシア革命という動乱を経て、ドイツやロシアの菓子職人たちが神戸に拠点を据えました。ゴンチャロフ、ユーハイム、H・フロインドリーブ、F・モロゾフが、本格的な洋菓子店を相次いでオープン。現代につながる神戸スイーツの系譜が生まれます。

大正
〈ユーハイム〉神戸1号店(1923年)

 

 

昭和
こうして西洋から移入した食文化を神戸で醸成したものが「神戸ブランド」として発信されるきっかけになったのは、昭和48(1973)年の「ファッション都市宣言」。洋菓子が時代を反映し、トレンドを生むハイセンスなファッションのひとつとして認知され、「神戸は洋菓子の街」というイメージが全国に浸透していきます。

昭和
〈モロゾフ〉創業当時の商品

 

 

平成
平成時代は雑誌の隆盛期。パティシエブームの到来です。女性誌をはじめとする雑誌がこぞって「神戸スイーツ」特集を組み、神戸スイーツは全国から憧憬されるブランドとしての地位を確立していくのです。

 

 

神戸スイーツと大丸神戸店

神戸、長崎、新潟、函館、横浜の開港を機に、明治~大正にかけて日本にじわじわと浸透していく西洋の食文化ですが、砂糖とバターはまだまだ貴重品。庶民の口に届くまではもう少し時間が必要でした。

神戸の「大丸呉服店」が、本格的なデパートメントストアとして現在地に移転したのが昭和2(1927)年のこと。8階建てのモダンな建物は話題を呼び、開店初日には2万5000人が詰めかけました。このとき、地下に食料品を置き、洋菓子も扱いはじめます。神戸初の「デパ地下」誕生の瞬間です。

神戸スイーツと大丸神戸店
三宮方面から見た大丸神戸店(1927年)
J.フロントリテイリング史料館

 

 

第2次世界大戦後の高度経済成長の時代には、デパートが全国の名店・名産品を集めて展開する「のれん街」「名店街」が賑わいを見せ、神戸のメーカーもこぞって参加。数多くのナショナルブランドが生み出されていくきっかけとなったといわれています。

 

神戸スイーツと大丸神戸店
大丸広報記事(2006年)
J.フロントリテイリング史料館

 

昭和63(1988)年、一冊の本の出版を機に企画された洋菓子展「洋菓子天国KOBE展」が、大丸神戸店を舞台に開催。阪神・淡路大震災(1995年1月17日)で半壊という大きな被害を受けた大丸神戸店が、「あなたの神戸を揃えました」とのコピーを掲げ、3カ月後の4月8日、わずか建物の1/3で再オープンを果たした日にも、この企画展が開催されました。「洋菓子フェスタ in KOBE」と名称は変わりましたが、ゴールデンウィークの名物イベントとして大丸神戸店にて今でも毎年欠かさず開催されるこの洋菓子イベントの盛況も、確実に、神戸スイーツのブランディングの一翼を担っています。

神戸スイーツと大丸神戸店には、長くて深いご縁があるのです。

神戸スイーツと大丸神戸店
洋菓子フェスタ in KOBE(2006年)
J.フロントリテイリング史料館

 

 

参考文献:「KOBE 洋菓子物語」「神戸雑学100選」「神戸っ子のこうべ考」「洋菓子でつくるクール神戸」「兵庫県洋菓子協会65年史」